サウナGO!GO!

2023-06-11

6/11(日) 8:10配信

magacol

1997年から「石田さんチ」の愛称で親しまれてきたドキュメンタリー番組『7男2女11人の大家族石田さんチ』。リアルな家族ドラマに心を掴まれた人も多いはず。実は私、ライター小出も初期の頃から見続けている「石田さんチ」ファンのひとりです。STORYライターになるとき、まず取材したい方として挙げたのが石田さんチのお母さんの千惠子さん。日々の生活で子育てに悩んだとき、「石田さんチのお母さんだったらどう考えるだろう」と想像します。

9人のお子さんを育てあげた石田千惠子さんに、40代の子育て、思春期の子供への接し方、夫との距離感、妻として母としてヒントをもらいに行ってきました!

【石田千惠子さんプロフィール】
1954 年3月14日 茨城県東海村生まれ
1974 年 美容師資格取得後、美容師として活躍。
1979 年 同級生の晃さんと結婚。
1979 年 11 月長女を出産。
1997年に7 男 2 女のお母ちゃんとして日本テレビ『大家族の石田さんチ』で紹介され、日本一有名な大家族のお母さんに。末っ子の隼司さんは千惠子さんが41歳の時の子でした。

次々に子どもたちが自立していくなか。13 年前に実母がアルツハイマー型認知症を発症。その後「子育て」と 「介護」の両方に奮闘する日々を送ります。 70歳を前に、まだまだやりたいことをやり続けるパワフルさに共感するファンも多く、多くの視聴者から反響を呼んでいます。

ずっと気になっていた番組出演の裏側を聞いてみました!
引用元:STORY

―あの頃、「石田さんチ」の放送が楽しみでした!テレビ出演のきっかけは何だったのですか?
初めは夫が取材をオッケーをしたところからスタートしました。過去にいくつかオファーが来たのですが、自分たちの思うようにつくりたいというテレビ局もあって、それは全てお断りしていました。私たちは生き物だから、思うようにいかないことも沢山あるんです。もし、『家族なので、まとまった絵が撮りたいです。例えば全員でご飯を食べているシーンとか・・』って澤本さん(初期からのプロデューサー)が言っていたら帰ってもらっていましたよ(笑)。
出演するならありのままの石田家の形をみてもらいたかったので。子どもたちも成長していくから一緒に子育てする気持ちならいいよと言ってて、それで今まで続いています。

―テレビ露出するにあたって、お子さんからは反発などされたりはしませんでしたか?
子どもたちに対しては、日ごろから『自分の好きなように決めてやっていいよ』と言って育てていたので、母ちゃんも自由にしているんだなと思われていたんだと思います。テレビに出たくない子は出なきゃいいだけなので、反発などはなかったですね。

むしろ、思春期の子がいる中で出演できたのは、私にとっては良かったかもしれないです。澤本さんに夫の愚痴なども聞いてもらえたりして、すごく助けられたなと思います。

―そもそもはじめから大家族をつくりたいと考えていたのですか?
私が一人っ子だったので、子どもは多くて5、6人は欲しいと思っていました。親戚やいとこもいる大人数のなかで育ったので多いことに対して抵抗はなかったんです。女男女男とできたので、もう1人女の子ができるまでと思っていたら男の子が続き、気づいたら9人になりました。最後にもうひとり子供を授かったんですが、流産してね。そこで、もう子どもは十分よねとなったんです。

―「石田さんチ」は、本当にありのままのリアルな家庭を覗けるのが、新鮮でした。隠すことなくオープンにしていたのは、何か考えがあったのですか?
綺麗な部分を見せても仕方ない「生きるってこういうこと」というのを見せたかったので、隠すことは特にしませんでした。周りに振り回される人生って嫌じゃないですか。どうせ見てもらうなら、片意地を張らず、人間ってこうやって生きているんだなってところを知ってもらいたかったんです。

実際に、まぁまぁ大変だった末っ子の思春期時代も、隠さずにありのまま放送したことで、同じような思春期のお子さんを持つ親御さんから「すごく助けられました!」という声も多くあったんですよ。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/15a382bf6887084ffd7e8c1c1038637747397f5f