2023-05-10
高校、大学では無名だった選手が、川崎フロンターレに加入後、めきめきと頭角を現す――。中村憲剛を筆頭に、小林悠、田坂祐介、大島僚太などこれまで何度も目にしてきた光景だ。また、守田英正、三笘薫、旗手怜央らは大卒で川崎に加入後、特筆すべき活躍を見せたのち欧州に巣立っていた。彼ら高卒、大卒の新卒選手の活躍の背景には、川崎フロンターレ強化部スカウト担当部長の向島建の存在がある。そこで本稿では、今年2月に刊行された書籍『愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方』の抜粋を通して、向島スカウトが大切にする“人を見る目”、そして新卒選手に重きを置く理由についてひも解く。
実績や経歴にとらわれず、人を見る目
いつしか川崎フロンターレのなかで、「向島が連れてきた選手ならば間違いない」という信頼を勝ち取った。
当初は、自分が見極めた選手を、さらに監督と強化部に見定めてもらい、獲得の可否を決めていたが、近年では向島に一任してくれるほどになった。
「新卒に関しては、ほぼNOと言われることはなくなりました」
そう話すように、向島が主に見ているのは、高校生や大学生といった新卒の選手が対象になる。向島自身やクラブが、新卒選手に重きを置くようになったのも、チームの歴史が深く起因していた。
中村憲剛の存在である。
大学時代まではまったくと言っていいほど無名だった中村は、伝手をたどってチームの練習に参加すると、そこで見出されて加入することになった。中央大学を卒業して、新人としてチームに加わった2003年は、周囲はもちろん、ファン・サポーターも彼のキャラクターやプレーを知る人は少なく、決して期待値は高くなかった。
だが、当時は背番号14ではなく、背番号26を着けていた無名の新人は、J2リーグ開幕戦に途中出場すると、めきめきと頭角を現し、4―0で快勝した5月17日のJ2リーグ第13節、湘南ベルマーレ戦で2得点を挙げたことを機に、スタメン出場の機会を増やしていった。指揮官が関塚隆監督に代わった2004年からは、トップ下からボランチにコンバートされると、司令塔として存在感を発揮していく。2005年からスカウトとして活動を始めた向島にも、選手を見るうえで彼の存在は大きなヒントになっていた。
「フロンターレは、必ずしも世代別の日本代表選手や、いわゆる幼少期からエリートだった選手が大半を占めるチームではありませんでした。そのなかでも、憲剛は大学で徐々に頭角を現して、努力してプロの選手になる夢を勝ち取った。その彼がチームの中心として活躍していたことで、世代別代表の実績やエリートの経歴だけでなく、幅広く選手を見るようになりました」
その最たる例が、青山学院大学でプレーしていた現スカウトの田坂祐介だった。彼が大学4年のときは、チームも関東大学サッカー1部リーグに昇格したが、向島が見出したときは、まだ2部でプレーする選手だった。
続きはソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b9a326211795ada05bfd8af71188caad29216bf
実績や経歴にとらわれず、人を見る目
いつしか川崎フロンターレのなかで、「向島が連れてきた選手ならば間違いない」という信頼を勝ち取った。
当初は、自分が見極めた選手を、さらに監督と強化部に見定めてもらい、獲得の可否を決めていたが、近年では向島に一任してくれるほどになった。
「新卒に関しては、ほぼNOと言われることはなくなりました」
そう話すように、向島が主に見ているのは、高校生や大学生といった新卒の選手が対象になる。向島自身やクラブが、新卒選手に重きを置くようになったのも、チームの歴史が深く起因していた。
中村憲剛の存在である。
大学時代まではまったくと言っていいほど無名だった中村は、伝手をたどってチームの練習に参加すると、そこで見出されて加入することになった。中央大学を卒業して、新人としてチームに加わった2003年は、周囲はもちろん、ファン・サポーターも彼のキャラクターやプレーを知る人は少なく、決して期待値は高くなかった。
だが、当時は背番号14ではなく、背番号26を着けていた無名の新人は、J2リーグ開幕戦に途中出場すると、めきめきと頭角を現し、4―0で快勝した5月17日のJ2リーグ第13節、湘南ベルマーレ戦で2得点を挙げたことを機に、スタメン出場の機会を増やしていった。指揮官が関塚隆監督に代わった2004年からは、トップ下からボランチにコンバートされると、司令塔として存在感を発揮していく。2005年からスカウトとして活動を始めた向島にも、選手を見るうえで彼の存在は大きなヒントになっていた。
「フロンターレは、必ずしも世代別の日本代表選手や、いわゆる幼少期からエリートだった選手が大半を占めるチームではありませんでした。そのなかでも、憲剛は大学で徐々に頭角を現して、努力してプロの選手になる夢を勝ち取った。その彼がチームの中心として活躍していたことで、世代別代表の実績やエリートの経歴だけでなく、幅広く選手を見るようになりました」
その最たる例が、青山学院大学でプレーしていた現スカウトの田坂祐介だった。彼が大学4年のときは、チームも関東大学サッカー1部リーグに昇格したが、向島が見出したときは、まだ2部でプレーする選手だった。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/7b9a326211795ada05bfd8af71188caad29216bf