2023-03-25
(25日、第95回記念選抜高校野球大会第7日 愛知・東邦6―3香川・高松商)
脈々と受け継がれてきた祈りの姿だった。
第2試合。出場36校の最後に高松商が登場した。
試合前のあいさつの整列が解けると、主将の横井亮太は三塁の守備位置に真っ先に駆けていった。帽子とグラブをとり、
ベースの前で片ひざをつく。手でベースに触れながら約10秒間、目を閉じた。
高松商は1924(大正13)年の第1回大会で優勝した。このとき、三塁手だった志摩定一さんはその年の冬、肺の病気で
亡くなった。
「俺は死んでも魂は残って三塁を守る」。そう言い残したという。
試合開始時に三塁で祈りを捧げる――。「志摩供養」と呼ばれる高松商の伝統だ。
「覚悟を持ってやらないといけない気持ちになった」。横井はこの日の祈りをそう振り返る。
一回表、三飛とゴロで二つのアウトをとった。裏の攻撃は先頭で打席に立ち、右前へ安打を放った。
7日前、大会は横井の選手宣誓で幕を開けた。
「戦争、紛争、そして災害。私たちが野球に打ち込んでこられたように、全ての若者が夢を追いかけられる平和な
世の中になることを願わずにはいられません」
落ち着いた口調で訴え、大きな拍手を浴びた。
戦禍による中断、コロナ禍による中止を挟みながら、大会もまた脈々と歴史を紡いできた。
大正、昭和、平成、令和と4元号で出場を重ねてきた高松商の主将は、伝統の重みも白球を追えることの意味も人一倍、
分かっていたのではないだろうか。
「勝ちきれなかったけど、野球ができる喜びはかみしめながら楽しめた」。そう言って球場を去った。
大会が始まって99年の今年、一校も欠けることなく初戦を終えた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba2a6d48d3fc41310b463deeff70f32414ac4f68
画像
https://www.asahicom.jp/imgopt/img/a4808991c9/comm/AS20230325003673.jpg
脈々と受け継がれてきた祈りの姿だった。
第2試合。出場36校の最後に高松商が登場した。
試合前のあいさつの整列が解けると、主将の横井亮太は三塁の守備位置に真っ先に駆けていった。帽子とグラブをとり、
ベースの前で片ひざをつく。手でベースに触れながら約10秒間、目を閉じた。
高松商は1924(大正13)年の第1回大会で優勝した。このとき、三塁手だった志摩定一さんはその年の冬、肺の病気で
亡くなった。
「俺は死んでも魂は残って三塁を守る」。そう言い残したという。
試合開始時に三塁で祈りを捧げる――。「志摩供養」と呼ばれる高松商の伝統だ。
「覚悟を持ってやらないといけない気持ちになった」。横井はこの日の祈りをそう振り返る。
一回表、三飛とゴロで二つのアウトをとった。裏の攻撃は先頭で打席に立ち、右前へ安打を放った。
7日前、大会は横井の選手宣誓で幕を開けた。
「戦争、紛争、そして災害。私たちが野球に打ち込んでこられたように、全ての若者が夢を追いかけられる平和な
世の中になることを願わずにはいられません」
落ち着いた口調で訴え、大きな拍手を浴びた。
戦禍による中断、コロナ禍による中止を挟みながら、大会もまた脈々と歴史を紡いできた。
大正、昭和、平成、令和と4元号で出場を重ねてきた高松商の主将は、伝統の重みも白球を追えることの意味も人一倍、
分かっていたのではないだろうか。
「勝ちきれなかったけど、野球ができる喜びはかみしめながら楽しめた」。そう言って球場を去った。
大会が始まって99年の今年、一校も欠けることなく初戦を終えた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba2a6d48d3fc41310b463deeff70f32414ac4f68
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