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2023-05-29

スティーヴ・アルビニ、ニルヴァーナとマニックスとのレコーディングについて振り返る
2023.5.28 日曜日 NME Japan
https://nme-jp.com/news/129709/


スティーヴ・アルビニは『NME』のインタヴューでニルヴァーナの『イン・ユーテロ』や「知的で気取らず、愉快だった」マニック・ストリート・プリーチャーズとの仕事などを振り返っている。

ピクシーズ、ブリーダーズ、ユアコードネームイズ:マイロー、PJハーヴェイらと仕事をしてきたスティーヴ・アルビニはシカゴのエレクトリカル・オーディオ・スタジオでインタヴューに答え、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』とずっと関連付けられることは烙印だとは思っていないと語っている。

「普通のことだと思うし、完全に理にかなっていると思うよ」とスティーヴ・アルビニは『NME』に語っている。「僕について知らない人に僕を紹介するとしたら、僕が手掛けた最も有名な作品を挙げるだろ。『イン・ユーテロ』は最も有名な作品だからね」

スティーヴ・アルビニは全世界で成功を収めた『ネヴァーマインド』の次の作品を手掛けたことは「ごくごく普通のこと」だったとしつつも、セッションの存在は知られないようにしていたと述べている。

「通常のセッションと何も違うところはなかったよ」と彼は語っている。「彼らがすごく有名だったことを除けばね。ファンやくだらないことによって邪魔されないように、秘密にするためにできる限りのことはしなければならなかった。でも、変わっていたのはそこだけだよ」

ミネアポリスから80kmのスタジオでレコーディングは行われたが、一大現象とも言えるニルヴァーナの名声のために彼とニルヴァーナは「人々に邪魔されない場所で」アルバムに取り組むことを求めていたという。

「バンドが付き合いで知っていた人たちからは十分に離れていたし、毎日テレビのクルーが付いてくることもなければ、商売をするドラッグのディーラーもいなかった」とスティーヴ・アルビニは語っている。「噂が外に出ないようにしなければならなかった。スタジオは独立したスタジオで、働いている人の数も少数だったけど、彼らにも秘密を知られたくなかった。それで、サイモン・リッチー・バンドという偽名を使って、自分のアカウントで予約していた。そう、シド・ヴィシャスの本名だよ」

「始まる前日に運送会社から航空貨物が届き始めるまで誰も知らなかった。ケースの横にはニルヴァーナの名前がスプレーで描かれていた。そうなるまで、スタジオのオーナーでさえ、そこでニルヴァーナがレコーディングすることを知らなかったんだ」

スティーヴ・アルビニはプロデューサーというより「レコーディング・エンジニア」を自称しているが、ニルヴァーナとの仕事はスムーズなもので、カート・コバーンと以前に出会っていた時のことを懐かしく振り返っている。

「『イン・ユーテロ』のセッションの何年も前に私のバンド、ビッグ・ブラックの最後のツアーを行ったんだ。最後の公演はシアトルの工場跡地かなんかだった」とスティーヴ・アルビニは語っている。「変わった建物で間に合わせのステージがあった。素晴らしいライヴで、最後に機材を全部破壊したんだ。キッズがステージのギターの破片を持って帰っていいかと訊いてきたから、『どうぞ。もうゴミだから』と言ったよ」

「何年も経って、ミネソタ州で『イン・ユーテロ』に取り組んでいる時にカート・コバーンが保管していたギターの破片を見せてくれた。ずっと何年も持っていてくれたんだ。彼があの時のキッズだったんだよ」

(※中略)

謙虚なスティーヴ・アルビニはニルヴァーナとマニック・ストリート・プリーチャーズの作品についてカート・コバーンやリッチー・エドワーズのような人物の場合、マスコミが音楽に付け加える神話を探しているだけだとして自身の与えた影響を否定している。

「音楽シーンの二次的な部分にはある種の傾向があると思っているんだ」と彼は語っている。「批評家、レコード会社、宣伝関係の人物というのは更なる物語を見つけようとする。『スティーヴ・アルビニという人物がこれらの作品には関わっている。別のストーリーを追える筋書きがあるかどうか見てみよう』ってね。正直、その大半は表面的なものなんじゃないかな」

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)