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2023-03-26

マイケル・マクドナルドが語る、ドゥービー・ブラザーズ来日と知られざる音楽遍歴
3/24(金) 17:30 Rolling Stone Japan
https://news.yahoo.co.jp/articles/44d10f15181d63753914b4196b8219595705dd67

メンバーにマイケル・マクドナルドが復帰、結成50周年記念ツアーを続けてきたドゥービー・ブラザーズが、いよいよ4月15日~27日にかけて日本に上陸する。1971年のデビューから70年代半ばまでの中心人物だったトム・ジョンストンと、二代目フロントマンして最初の解散(1982年)までバンドを支えたマイケル・マクドナルド、ふたりの“主役”が揃って日本を回るのは今回が初めて。それぞれの時代の名曲をありったけ詰め込んだ超強力なセットリストが何よりの売りだ。

トム・ジョンストン在籍期には、ドライブ感溢れるロックンロールに、R&Bのリズム、フォーク・ロックのハーモニーを掛け合わせた爽快なサウンドで「Listen To The Music」「Long Train Runnin’」「China Grove」などヒット曲を連発。一方、スティーリー・ダンで共にプレイしていたジェフ・バクスターの推薦で抜擢されたマイケル・マクドナルドは、R&Bやゴスペルの影響が色濃いキーボード奏者/シンガーで、トム・ジョンストンのカラーとは異なる根っからのソウルマンであった。彼の加入によってバンドの音楽性が変わるのは当然で、次第にシンセサイザーの出番も増え、初期とは別物の洗練されたサウンドへと急速に進化を遂げていった。(※中略)

■ブレイク前夜の音楽活動、スティーリー・ダンとの出会い
(※中略)

―あなたがリック・ジャラード(ニルソンなどのプロデューサー)と最初に録音したソロ名義のセッションと、スティーリー・ダンとの活動を経てドゥービー・ブラザーズに加入した後の曲を聴き比べると、後者は使うコードの種類も豊富になり、ずっと洗練された感じを受けます。ほんの数年の間に、あなたの中でどのような音楽的変化があったのでしょう?

マイケル:君たちには何も隠せないようだね(笑)。どうだったかと言うと……僕がカリフォルニアに出てきた頃は、トム・ジョーンズとバート・バカラックを足したような人になりたいと思っていた。だからやっていた音楽もその辺の影響があったと思う。リック・ジャラードとは、彼が手がけていた他のアーティストのセッションに雇われ、LAのレコーディング・シーンに知り合いが増えていった。それからクラブに出るようになり、どんな音楽が流行っているのかを知ったんだ。当時でいうダンス・ミュージックさ。ダンスと言っても今のDJやディスコではなくて――当時もディスコとは呼んでたが――ライブ・バンドが生演奏し、それに合わせて人が踊る。タワー・オブ・パワー、スティーヴィー・ワンダー、WAR、ルーファス……といった音楽だ。それをきっかけに、僕自身、よりリズミックなアプローチに変化していったんだと思う。

―スティーリー・ダンとの仕事を通して、彼らのどんなところから影響を受けましたか?

マイケル:彼らからは、仕事をする以前から大きな影響を受けていたよ。さっき話したクラブで仕事をしていた頃、サウスLAのどこかでだが、誰もが昼間はセッション仕事や、LAで生計を立てるために仕事をして、夜はクラブに出演するというぐあいだった。僕もツアーバンドのオーディションを受けたり、セッションをやったり……そんな時にあるディスコの仕事で一緒だったドラマーのボビー・フィガロア――彼はライチャス・ブラザーズやビーチ・ボーイズともやってた素晴らしいドラマーでシンガーだが――スティーリー・ダンのオーディションを受けると聞いたんだ。羨ましかったよ! 当時の新人バンドの中ではかなりお気に入りだったからね。

それから約1年後、ジェフ・ポーカロから連絡があり、そのスティーリー・ダンのオーディションにこないかと言われた。「いつ行けばいい?」「今はどうだ?」……それで、すぐに車にピアノを積んで向かったんだが、そのオーディションがそのままリハーサルになった。僕が選ばれたのは、ピアノの腕というよりは、高音域をかなり力強い地声で歌えるのが気に入ってもらえたようだ。もちろん、ドナルド(・フェイゲン)のパートを補うキーボードを弾けたので、バックだけでなくメロディラインもいくつか任されたりして、まさに夢が叶ったという感じだった。まさか自分にその仕事が回ってくるとは思ってもみなかったし、それがきっかけというか――ジェフ・バクスターとのつながりで、ドゥービー・ブラザーズに入ることにもなったわけだよ。(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)